今から
2年以上も前に、
相模原市のやまゆり園事件がありました。
昨年の夏休みに、何気なくニュースを観ていた子どもから言われました。
「この人、ママと同じこと言ってる」
ハッとしました。
そのとき犯人は、障がいの方々に向かって「役に立たない」と言いました。
そうです。
私は時々、あまりにも症状が辛くなってしまうと「ママとして、役に立ってないよね」と子どもにさえ、言ってしまうことがあります。
犯人の言葉と、私の言葉が子どもにとっては同じように感じたのでしょう。
差別は「周りから」というより「私自身の中」にあったのだ、と思いました。
「役に立つ」って何でしょう?
生産性があること。
機能していること。
しかし、被害に遭われた遺族の方々は、亡くなった家族にこう仰っていました。
「触ると温かいだけで」
「存在してくれるだけで」
まわりを明るくし、人々を勇気づけ、充分に幸せであったと。
私は、とっても恥ずかしいことを言ってしまったと、子どもに謝りました。
そして深く、間違いを訂正しました。
「そうだよね、その人が居るだけで、もう充分価値があるんだよね。」
挿絵協力:亜梨沙