プロフィール
野尻1区の概要は
人 口 820名 ( 男:395名・女:425名)
世帯数 384世帯
(平成29年1月1日現在)
野尻1区(小林市野尻町紙屋)は、小林市の東側に位置しており、国道268号線を通り宮崎市から小林市に
入る東の玄関口である。 組数19 総戸数270戸
漆野原から眺める霧島山系は絶景である。
漆野原一里塚(漆野原)
県指定史跡のこの一里塚は、1706年頃薩摩藩が鹿児島下町札辻を起点として綾に至る街道に設けた時のものと見られる。
紙屋城第二の空堀跡(城原)
小林市指定史跡戦国時代(1570年頃)伊東48城の1つ紙屋城は綾に島津氏の領有となり江戸時代の一国一城の令(1615年)により取り壊され堀跡だけが残る。
紙屋関所跡(旧町)
小林市指定史跡薩摩藩の九つの番所(関所)の一つであり関ヶ原の戦いで豊臣方に加わり敗退した島津氏は日向の国の伊東勢(徳川方)に苦しめられたことから紙屋に番所(関所)を設け、この地方の防備を固めた。
一徳園(紙屋小学校)
一徳園は、紙屋小学校初代校長「南崎兼左衛門」が当時四分五裂の状態であった紙屋村民の心を一つにして協力する村民一体の精神的肉体的な共同作業(今の言葉でいう村おこし)で明治44年に完成させた。
大正9年には「一徳堂」が建設された。紙屋小学校玄関に飾られている「一徳堂」の額は「ビタミンの父」と呼ばれる高岡町出身の「高木兼寛男爵」の筆によるものである。
漆野原調整池(漆野原)
大淀川左岸事業で旧水路を改良して須木岩前より引かれた水は一旦漆野原に設けられた3つの調整池に溜められる。その水は漆野原一帯の他高岡町(宮崎市)の久木野・小田元までの田畑を年中潤している。