北西一区【小林市】

 

プロフィール

北西1区の概要

 北西1区は、宮崎県小林市の西部、西小林地区の北東部に位置し、本区の南部には雄大な霧島連山の絶景が一望でき、また北部には九州山地の山岳が連なり、緑豊かで自然環境には恵まれています。
 冬は霧島連山からの冷気で冷え込むことがありますが、夏は比較的涼しく過ごすことができます。
 JR吉都線西小林駅や小林市役所西出張所、郵便局、こばやし農業協同組合西支所、西小林診療所、商店などがあり西小林地区の中心地となっています。 

 

北西1区人口  568人
戸数      190戸
常会数      18常会

 

■北西1区 自主防災組織の構成及び任務分担

 

☆茶飲ん場
 平成25年4月より北西一区公民館に[茶飲ん場]を開設し、毎月第2・第4水曜日に地域周辺の高齢者の方々が寄り合って10時から11時30分まで軽体操や世間話で盛り上がっています。

 

 

 この事業はNPO ハートムが自殺予防のひとつの手段として、家にこもりがちな方々を引き寄せて、話の輪に加わることで、地域の絆が生まれることを願って現在西諸管内に6か所設けられています。

☆大久保小学校跡(西小林小学校の前身)
 明治14年(西暦1881年)3月4日、二つの学校が合併・移転して「大久保小学校」が誕生しました。
二つの学校とは、種子田地区にあった「乾方(いぬい)小学校」(明治7年創立)と、窪田地区にあった「坤方(ひつじさる)小学校」(明治8年創立)です。
学校は、JA西支所の敷地内にありました。
当時、その土地は牟田庄七氏が所有していた土地であると思いますが、私財を投じてできたのでしょう。
校地149坪の面積に、教室の面積14坪、そして教員住宅などが造られました。
 大正元年(西暦1912年)、現在の西小林小学校の敷地内に移転しましたが、牟田庄七氏は西小林小学校の創始者として、その業績を後世に伝える意味から、西小林小学校の敷地内に記念碑が造られています。3月4日は西小林小学校の創立記念日になっています。

※「乾方(いぬい)」とは、北西の方向という意味で、従って「乾方(いぬい)小学校」とは北西方小学校という意味です。

※「坤方(ひつじさる)」とは、南西の方向という意味で、従って「坤方(ひつじさる)小学校」とは南西方小学校という意味です。

 

☆西小林駅近くの田の神
 西小林駅から西の方向に進んだ道路沿いにあり、その前に田んぼが広がっています。
田の神とは、鹿児島県や宮崎県の諸県地方、いわゆる薩摩藩に分布する石像ですが、開田の祈念と豊作を祈って造られました。通称「田の神(かん)さあ」と呼ばれています。
この田の神がいつごろ造られたのはわかりませんが、神官型で、右手を上に、左手を下にして輪握りになっています。

 

☆西小林駅
 小林から吉松まで、鉄道が開通したのは大正元年(西暦1912年)10月1日です。その17年後の昭和4年(西暦1929年)2月1日に西小林駅ができました。
待望の駅ができて、駅前広場では地区の人たち総出の祝賀式が開催され、伝来の郷土芸能が披露されたり、小学生や一般の方々の旗行列が大出水~鬼塚~轟木~駅前の順路で行われたようです。画期的な大行事であり、地区のみんなで大歓迎した様子が想像されます。
 残念なことに、開設当時の乗客数などはわかりません。昭和32年10月5日の宮日新聞によると、一日の平均乗降客は380人との記事があり、多くの人が利用して賑わっていたのでしょう。
 以前の待合室は昭和26年4月に改築されました。吉都線では唯一の跨線橋(こせんきょう)が、昭和48年10月に新設されました。

 

グループ参加

北西一区【小林市】 さん

北西一区

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