「南橘町内会」は昭和50年(1975年)4月1日に「南橘町内会会則」を藤沢市役所に提出し、鵠沼橘1丁目・2丁目、鵠沼桜が岡1丁目・4丁目に居住する方で組織する「南橘町内会」として誕生し、本年50周年を迎えました。
以下、「南橘町内会」創立50周年に寄せて〜大田町内会会長からのメッセージです。
町内会そのものは戦前からありましたが、戦時中国家翼賛体制の末端組織であったことから、戦後GHQより町内会は解散させられ結成も禁じられていました。しかし治安の悪さから「防犯・防災目的の住民組織」なら認められることとなり「防犯協会」が設立され、それぞれ加入するようになりました。これが現在の町内会組織の前身です。
そして昭和34年(1959年)に東京オリンピック(昭和39年開催)招致が決まり、都市環境整備が急速に進むこととなりました。藤沢市でも公共施設整備とあわせて藤沢駅近隣住宅地区の基盤整備を図るため、昭和35年から土地区画整理事業が始まり、住居表示も鵠沼〇〇〇〇番地から鵠沼〇丁目〇番〇号と新しい表示に変わりました。そして都市環境整備が進むとともに住民も増加、地域の身近な課題を解決・住民同士の支え合い助け合い・まちづくりのパートナーとして藤沢市からも町内会の設立が奨励され、現在に至っております。
「南橘町内会」設立後の50年間には様々な課題がありましたが、「東日本大震災」を機に「防災」に対する意識が大きく変わりました。避難施設に行かず在宅避難をするにはどうしたら良いのか、特にコロナ禍以降は自宅を命・生活を守る安全な場所にしなければならないと考えるようになりました。災害発生時はご近所同士がお互いに助け合い、支え合わなければなりません。そのために肝心なことは「ご近所の顔が見える関係」です。そして何より「ここに住んで良かったと思える町内を作ること」です。
「南橘町内会」創立50周年をひとつの節目として、さらに住み良い町内を皆さんと作り上げていきたいと気持ちを新たにしております。皆さん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
「おめでとう50周年!されど50周年!」
